2011年4月20日水曜日

福島第1原子力発電所の高濃度汚染水の処理技術

チェルノブりで実績のある安価な技術の提供申し出あり。

このような優秀な科学者の善意が活かされる仕組みが日本にはないのが非常に残念。

政府、電力会社、原発メーカー、マスコミ
が一体となって、利権構造を創り上げてきた。

東京電力は、汚染水浄化をフランスのアレバ社に依頼するようですが、いくら払うのでしょうか??
ご存じの方はいますか?

無償ってことは無いですよね??

緊急時の対応や、対策、税金投入にも利権でガチガチなんだろうなー?

以下のような申し出を本気で検討してくれる有志はいないものでしょうか??

放射線汚染水除去技術浄水方法および私(科学者)の履歴に関する文書および書類、写真および科学的データ類のコピーを含む添付ファイルを〇〇◯にお渡し頂きたくお送りします。その中には、数年前にウクライナで出版した私の発表論文の殆ど全リストを含む私の履歴書も含まれています。
私は、チェルノブイリ事故直後、当時科学生産合同「トゥーラチェルメット」の研究職員として働いており、1986年6月に水の核種除染問題の研究を開始しました。それまでは私は超微粒パウダー製造の専門家でした。1時間にそのようなファイン・パウダーを20kg製造できる実証装置を作成しました、その装置は成功し現在でも稼働中です。
化学分野のソ連最高学府、モスクワ・メンデレーエフ名称化学技術研究所においてこの分野の博士候補(ph d)の審査を通りました(私のその証書のコピー参照)。
私は以前よりそのようなパウダーの製造過程においてこのパウダーが水中に含まれる溶解した物質を含めあらゆる汚染物質を活発に吸着することに気づいていました。従いまして、パウダーの汚染を防ぐために高価な蒸留水を使う必要がありました。
チェルノブイリの事故が発生した時、我々はチェルノブイリから放射能汚染水が流れ出ていることを知りました、私は直ちにこのパウダーが汚染水の核種を除去することができると考えつきました。直ちに、放射線同位元素塩で汚染した水を要してラボ実験を行いました。最初の幾つかの実験で、この実験装置に汚染水を1回通すとこにより水の放射能は10分の1に低下しました。
本技術方法のさらなる改良を待たずに、私は1986年にチェルノブイリ委員会のチェルノブイリ事故処理国家委員会に手紙を書きました。手紙には、チェルノブイリ放射能汚染水の1部を除染できる実証装置が我々の所にあり、1ヶ月後にはその5倍の能力のある装置を製作でき、その装置は水から放射性固体沈殿物を分離しチェルノブイリの全汚染水の除染をできることを書きました。
中略
ゴルバチョフがイギリスのマーガレット・サッチャー首相に私のことを話したことから、1989年11月にイギリスへ招待されロンドンに飛び水のあらゆる汚染に対する浄化方を示しました。その際、政府の代表団も同行しました。私がロンドンで英国企業の汚染水サンプルを5分間で浄化し、その中にどんな毒物が入っていたのかも聞かずにその浄化した水を飲んだテレビレポートをBBCが放映しました、その後このテレビレポートに関する論文が英国の雑誌“World Water”に掲載されました。(コピー添付)
ロンドンから帰国後、我々はチェルカスクにおいてウクライナおよびロシアの工場用に浄水装置「ジェレロ」を年間20基製作しました。(これらの装置はチェルカスク、ドニエプルペトロフスク、クリボイローグその他の都市で稼働した)最大能力1時間50立米の装置を生産合同「カウスチク」の汚染水から水銀イオンを除去するために1991年にボルゴグラード市へ納入しました。(そこでは水銀電極で塩水を電気分解して苛性ソーダを製造している。)そこでは我々の装置は少なくとも2005年まで稼働しました。2004年の夏に私はボルゴグラード市へ行きそこで稼働している装置をムーヴィーカメラで撮りました。フィルムは持っています。
この装置1基を24時間稼働させることにより福島で日本のタンカーからの全放射能汚染水を一カ月以内に浄化できます。この装置は殆ど全自動です。
したがって過去に加速器でコーティングの融解を行ったときに加速器を遠隔操作したようにこの装置も遠隔操作による放射能汚染水の除染に適応させることができます。加速器からのX-線はそのような汚染水よりもはるかに強力です。私の装置で浄水を行うパウダーの製造原料は通常の粉砕した屑鋼です、したがって原料は豊富で安価です。1立米の浄水に1グラムの屑鋼で十分です。したがって、この方法は知られている方法のうちで最も安価な方法です。従いまして、我々の工場は廃棄物無しの生産工場でした。しかしながら放射能沈殿物はブロックの形でガラス化あるいはコンクリート化して問題の無くなる時点まで埋蔵処理する必要があります。しかしそれは量的には余り多くはありません。
ロンドンにおける私の実験のレポートに関する記事が1990年にイギリスの雑誌“World Water”に発表された後、世界の様々な代表団が我々の装置を見学にチェルカスクへ来ました。全ての訪問者は私が彼等の所で働くように勧誘しました。南アフリカ共和国首相の息子とその工業・観光相(独創的な組み合わせだが、理にかなった組み合わせの省である)までも訪問してきました

その後、私はモスクワの宇宙航行委員会付属で設立された宇宙機器有効ロード国際科学技術センターで1995年まで勤務しました。そこでは宇宙機器、特に宇宙ステーション“ミール”、加温用熱発生機の開発および宇宙航行の幾つかの理論的問題の解決に取り組みました。それによりロシア自然科学アカデミーのアカデミー会員に選ばれ、ロシアの幾つかの勲章およびメダルを授与されました。

長い手紙を書いて貴方の時間を使わせてしまいしました事をお詫びします、しかし貴方を悲しませんる事はなかったと期待します。また、迅速に日本を支援するために貴方が官僚的な壁を打ち破ることが出来ることを期待します。添付資料をご覧ください。

固有名詞や、機密情報は編集させていただきましたが、このような申し出を本気で検討してくれる有志がいるといいのですが、、、、

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